近畿大学献体21年
近畿大学医学部 近畿大学医学部は昭和49年4月に創設された。正常解剖のための御遺体の確保に向けて島五郎、森司郎初代解剖学教授や事務職員の努力がなされ、近畿各府県の病院などを巡り陳情運動を繰り広げた。同時に篤志献体の会である近畿大学白菊会の設立に向けての努力がなされ、昭和50年6月に最初の篤志献体の登録がなされ、昭和52年4月には最初の献体者が記録された。昭和52年8月に近畿大学白菊会が正式に発足し(初代会長は神田博氏、2代新生行信氏)、昭和55年6月には10頁からなる白菊会パンフレットが完成した。これには献体運動、慰霊祭、慰霊法要と納骨堂、献体登録の手続きなどの説明の他に、「献体という行為は慈悲の極みであろうかと存じます。」という四天王寺管長出口常順氏の談話が掲載されている。これらに伴い献体登録者の数は増加し、会員数が平成8年3月末には生存会員数が631名に達している(総登録者数は892名)。特に最近、平成6年度には90名、7年度に111名と入会者数が大きく増加している。それでもまだ解剖体を全て篤志献体の方でまかなえるには到っておらず、運動をさらに広げていきたい。 昭和51年度に第1期生が3年生となり正常(系統)解剖実習が開始されることに関連して、島五郎教授などの努力により近畿大学医学部献体供養塔が大阪市の四天王寺に建立され、昭和51年4月27日、近畿大学教職員物故者ならびに献体者供養塔建立の開眼法要が行われた。 第1回の解剖実習は昭和51年4月より7月まで行われたが、解剖された20体とそれまで病理解剖に付された方々の慰霊のために、昭和51年11月5日四天王寺において近畿大学教職員物故者法要と兼ねて慰霊祭が厳粛に行われた。その後も、毎年11月初句に四天王寺で慰霊祭が行われているが、同寺は医学部から遠く、より多くの教職員・学生などの参加を望むため、医学部内における解剖体慰霊祭を要望する声が高まってきた。昭和53年谷村孝教授が着任後、昭和54年8月に解剖体委員会が設立され、正常解剖体蒐集の確立、献体登録団体近畿大学白菊会の充実とともに、医学部のおける解剖体慰霊祭の立案がその任務とされた。 昭和54年10月22日、第1回の近畿大学医学部解剖体慰霊祭が医学部大講堂で、特定の宗教にとらわれず、超宗教で厳粛にとり行われた。正常解剖献体者遺族、病理解剖者遺族、献体登録者(近畿大学白菊会会員)、献体協力関連病院関係者、教職員、医学部学生及び看護学校生徒など約470名が参列した。医学部における慰霊祭は昭和55年の第2回目以後毎年5月の第3土曜日に行われることになり、慰霊祭当日は白菊会会員と昼食会を持ち、会員相互の親睦とともに医学部解剖学教室や事務室との懇談を行っている。このような経過があり、近畿大学としては、医学部における慰霊祭とは別に、毎年大学創立記念日(11月5日)前後に、教職員物故者と医学部献体者の追悼法要を四天王寺本坊で営んでいる。なお、現在まで、四天王寺供養塔に納骨申し上げた正常解剖献体者の数は607霊である。
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